FGOでチャールズ・バベッジを当てたので、今回は彼について調べてみました。
概要
彼は、1971年にロンドンで産まれました。
父が裕福だったため小学校時代には複数の家庭教師を付けていました。10歳のとき生命を危うくするほどの発熱を経験し、療養をかねて田舎の学校に通うようになります。
その後ミドルセックス州インフィールドにある30人の生徒を持つホルムウッド・アカデミーに参加し、スティーブン・フリーマン牧師に学ぶようになります。このアカデミーには膨大な蔵書があり、それによって数学に興味を持つようになります。
1810年10月、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学します。ここでゴットフリート・ライプニッツ、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、トーマス・シンプソンらの著作を読みふけり、ケンブリッジの数学教育のレベルの低さに失望します。その結果として1812年に解析協会を設立します。
1812年、ケンブリッジ大学のピーターハウス・カレッジに移ります。ここで数学者のトップとなったが、卒業することはできませんでしたが、代わりに名誉学位を試験無しで1814年に与えられています。
1822年、階差機関 と名付けた多項式関数の値を計算する機械の設計を開始しました。当時の他の機械式計算機とは異なり、バベッジの階差機関は一連の数値を自動的に生成するものでした。有限差分法を使うことで、乗除算を使わずに関数の値を計算できました。
1820年代初め、バベッジは最初の階差機関の試作にとりかかります。そのとき製作した一部の部品は今もオックスフォード科学史博物館にあります。この試作機が「階差機関1号機」へと発展します。しかし完成はせず、出来上がった部分はロンドンのサイエンス・ミュージアムにあります。
階差機関の製作が破綻して間もなく、バベッジはさらに汎用的で複雑な解析機関を構想し始め、1871年に亡くなる直前までその設計を改良し続けます。2つの機関の主な違いは、解析機関ではパンチガードでプログラムを組むことができるという点にありました。。プログラムをカードで用意することで、最初にプログラムを組めば、それを機械に入れるだけで実行することができます。解析機関はジャカード繊機のパンチカードのループで計算機構を制御し、前の計算結果に基づいて次の計算を行うことができます。逐次制御、分岐、ループといった現代のコンピュータのような特徴すら、いくつかを備えてます。
1871年10月18日、79歳で死去。ロンドンのケンサル・グリーン墓地に埋葬されました。。「腎臓を患い、膀胱炎を併発して」亡くなったと言われています。1983年、バベッジの検死報告書が発見され、後にバベッジの玄孫が公表しました。また、複写が公開されている。バベッジの脳は、半分がイングランド王立外科医師会に保管され、もう半分がサイエンス・ミュージアムにて展示されています。
感想
もの凄い発明ですね。
この発明が無かったら現代の科学はないと言っても過言ではありません。
それにしても死後の脳までがミュージアムに展示されているってすごいですね。